大使からのメッセージ

八木毅

日印交流発展の立役者~三角 佐一郎氏~

日本とインドとの交流の歴史は,仏教の伝来にまでさかのぼりますが,現代における日印関係の発展に大きな役割を果たした方をご紹介したいと思います。

日本において,日印両国民の親善の増進に努めている日印協会は,1903年(明治36年)に大隈重信侯爵,長岡護美子爵,渋沢栄一翁によって組織されました。この日印協会の活動は2013年に110周年を迎えましたが,同協会に太平洋戦争前の1938年から勤務され,1977年から2006年まで専務理事を務め,今日まで日印の両国国民交流の振興に尽力されたのが,三角 佐一郎(みすみ さいちろう)日印協会顧問です。三角顧問は,現在98歳で,その70年以上にわたる日印関係発展への貢献が認められ,さる3月30日に,インドのために卓越した働きをした人に贈られる「パドマ・ブーシャン」というインドの勲章(注)をムカジー大統領より授与されました。

三角顧問は,大学卒業後,日印協会事務局に入られ,戦中を通じて,協会の活動に従事されましたが,三角顧問が,強く覚えていらっしゃるのが,インドの独立運動家で日本軍と協力してインド国民軍を結成したスバーシュ・チャンドラ・ボースです。日印協会は,日比谷公会堂でボース氏の講演会を主催し,三角顧問は,ボース氏のお世話をされました。また,三角顧問は,インドの独立運動を支援するために東宝が作成し,1943年に公開された日本映画『進め独立旗』の制作にも関わったそうです。

戦争中に日印協会事務局はその建物が焼失し,終戦後は,GHQ本部から協会解散命令が出されるなど,多難な時期が続きましたが,三角顧問が日印経済協会を作って活動を継続され,1952年の日印平和友好条約の発効によって,日印協会の活動は再開されました。日印協会は,それまでの経済を中心とした活動から,文化交流,インドにある各地の印日協会との交流活動に力を入れ,インディラ・ガンディー首相をはじめとする歴代のインド首相らとも交流を重ねてきました。1988年に日本全国で1年間にわたり,「インド祭」が行われた際には,三角顧問は,「インド祭」実行委員会常任委員として参画されました。その後も1992年の日印国交樹立40周年記念などの日印関係の節目,節目において,日印交流事業を推進してこられました。

2006年に日印協会副会長に就任し,次の年に顧問に就任されてからも,引き続き,熱意を持って日印交流の強化に係わっておられます。三角顧問のように真剣に日印両国の友好関係の増進に長らく献身的に努められてきた方がおられたからこそ,今日の活発な日印交流が実現したと言えましょう。

駐インド日本国特命全権大使
八木毅



(注)「パドマ勲章」はインドのために卓越した働きをした市民に贈られるもので,パドマ・ヴィブーシャン,パドマ・ブーシャン,パドマ・シュリーの3つがある。





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