春の季節に寄せて
北インドの春のお祭りであるHoliが終わり,色とりどりのきれいな花々が楽しめる季節になりました。短い春がおわるとすぐに暑い夏がやってきますが,その前の和むひとときです。
今日は,以前に大使公邸にあったお茶室について紹介したいと思います。
このお茶室は, 1959年2月に完成したもので,1958年に,日本鉄鋼連盟とインド側との交渉の結果,日本がインドから長期的に大量の鉄鉱石を確保できることとなったことを記念して,鉄鋼連盟から寄贈されたものでした。鉄鋼連盟は,4000万円という当時としては巨額の費用を投じて本格的なお茶室を本邦にて建設,当地に移築させました。この1958年の交渉妥結によって日本に輸出された鉄鉱石は,1960年代の日本の高度経済成長に大きな貢献をしたのです。
お茶室は,笛吹嘉一郎氏の設計で,当時数寄屋建築の名工と言われた中村外二氏によって京都で新築され,解体して船で運び,ニュー・デリーの大使公邸の庭に移築されたのですが,表千家と裏千家の双方の意匠を取り入れた数寄屋建築の珍しい茶室でした。移築には半年の時間を要し,その間,京都から大工,左官,とび職が当地に滞在し,移築作業が行われました。お茶室は,小間と八畳の広間からなり,小間を「碧庵(へきあん)」,広間を「白雲軒(はくうんけん)」といい,「碧庵」には高松宮妃殿下の揮毫になる扁額(へんがく)がかかげられ,広間の「白雲軒」には,表千家先代(第13代)即中斎宗匠の筆になる軒号がかかげられていました。
お茶室披きには,日本からは表千家の久田宗也さんと裏千家の塩月弥栄子さんが訪印され,令嬢のインディラ・ガンディーを伴って出席されたネルー・インド初代首相にお茶を差し上げた写真が残っています。このお茶室披きには,デリーの外交団や元藩王などの著名人が参加され,華やかな外交の舞台となったとのことです。日本の伝統文化である茶道が,日印交流や外交活動の場を提供した一つの好例と言えましょう。
お茶室は,残念なことに木造であったこともあって,当地の気候による傷みや老朽化が進んだために2009年末に取り壊されましたが,小間と広間にかかげられていた扁額と軒号は,日印関係の輝かしい記念として大使館に残されています。日印間の長い文化交流・経済交流の歴史の中の,一つのエピソードです。
駐インド日本国特命全権大使
八木毅
大使からのメッセージ (平成27年1月)
大使からのメッセージ (平成26年9月)
大使からのメッセージ (平成26年8月)
大使からのメッセージ (平成26年7月)
大使からのメッセージ (平成26年5月)
大使からのメッセージ (平成26年3月)
大使からのメッセージ (平成26年2月)
大使からのメッセージ (平成25年12月)
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