大使からのメッセージ

八木毅

インパール作戦70周年記念行事出席

3月22日から24日、インド北東部のマニプール州に出張し、インパール作戦70周年記念行事に出席するとともに、州首相をはじめとする同州関係者と面会しました。

インパール作戦は、第二次世界大戦中、インド北東部の都市インパールの攻略を目指して1944年3月から7月にかけて、日本軍により行われた作戦のことで、日本軍と、英国を中心とする連合軍、合わせて20万人以上の兵力が投入されました。日本軍はインパール北方のコヒマ(現在のナガランド州州都)まで進出し、インパール間近にも迫りましたが、結局、7月には撤退を決定、この作戦における日本軍の死者は3万人とも、あるいは、それ以上とも言われています。また、スバス・チャンドラ・ボースが率いていたインド国民軍がこの作戦に参加したことも(約6000人が参加したとされる)、日印関係の歴史の一ページとして忘れることができません。

私は、着任以来、ぜひ機会をとらえて、インパールを訪問したいと願っていましたが、今回、「マニプール観光フォーラム」と「第二次世界大戦インパール作戦財団」の主催、マニプール州政府の協力で、一連の70周年記念行事が3月から6月にかけて行われることとなり、3月23日にオープニングの式典が開催されたため、これに出席したものです。

式典では、主催団体関係者からインパール作戦の史実についてプレゼンテーションがあった後、マニプール州政府高官から、インパール作戦戦没者への追悼、今後の州開発の考え方(特に観光分野)などを内容とする挨拶が行われました。私からは、戦没者への追悼の意を表するとともに、長きにわたってマニプール州関係者・団体がインパール作戦記念碑等を維持・管理してくれたことへの謝意を述べ、さらに最近の日印関係の発展ぶりにも言及しました。

また、式典に先立って、インパール郊外のロクパチンにある二つの記念碑を訪れました。ロクパチンはインパール作戦の中でも最も激しい戦闘が行われた場所で、記念碑は「レッド・ヒル」と呼ばれた小高い丘の麓に建てられています。一つは1994年に日本の旧厚生省が建立した「インド平和記念碑」、もう一つは1977年に地域住民により建立されたもので、後者には、戦後、長くマニプール州で日本語教育などに尽力された故牧野財士氏による慰霊の短歌が刻まれています。記念碑は現在も州政府と地域住民によって良好に維持・管理されており、滞在中のいろいろな機会に、私から現地関係者の方々に対して謝意を表明しました。記念碑訪問時には、1944年当時ロクパチンに住んでいたという方も来られており、通訳を介してではありましたが、当時の模様につき話を聞くことができました。

 インパール付近は、今でこそのどかな農村・田園風景が広がっていますが、この地が70年前に激戦の場となり、多数の方々が命を落とされたことを想い起こし、大変に厳粛な気持ちを禁じえませんでした。また、戦争の歴史にもかかわらず、現地の対日感情は基本的に非常に良好であると思われます。これからも、日印関係全体の発展を図る中で、マニプール州を含む北東部にも配慮していく必要があると感じました。


駐インド日本国特命全権大使
八木毅



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