What's New Lectures by the Ambassador

「日本の対アジア外交;3つの課題」 (2005.2.23)

J.ネルー大学主催「東アジア・セミナー」講演
「日本の対アジア外交;3つの課題」

2005.2.23  在印大使  榎 泰邦

はじめに
       昨年以来、日印間の知的対話が極めて活発化してきております。本年1月以降だけを見ましても、日本と東アジアの安全保障に関するIDSAセミナー(1月)、国連大学・平和紛争研究所共催の日印PKOセミナー(2月)、JNU主催の東アジア文学セミナー(2月)、に続き、本日の貴大学主催による「日本と東アジア」と題するセミナーが開かれ、更に3月には日本国際問題研究所・IDSA共催セミナー及び当大使館・印経団連共催による日印セミナーの2つの開催が予定されています。特に、後者の日印セミナーには、森喜郎元総理、川口前外相などそうそうたる方々が出席されます。
       本日は、時間も限られていますので、日本の対アジア外交の課題につき、地域安全保障への対応、東アジア経済統合プロセスの推進、台頭する中国・インドと日本とのアジア三国志時代への対応、の3点に絞りお話したいと存じます。

1.         「不安定の弧」と日本の安全保障

冷戦終焉から10年以上が経つとは言え、このアジアでは、冷戦構造の残滓とでも言うべき不安定な朝鮮半島情勢、中国・台湾問題が未解決のまま残り、カシミール問題などの領土問題、民族・宗教対立を背景とする西アジア・中東での対立構造が続いています。まさに「不安定の弧」と言うべき地域安全保障問題を抱えています。特に日本にとっては、核兵器開発、ミサイル開発、拉致問題という3つの深刻な問題を抱える北朝鮮の情勢は地域安全保障上の最大の脅威となっています。また、中国と台湾間のいわゆる両岸問題も潜在的な不安定要因となっています。地上軍規模だけを見ても、北朝鮮100万人、韓国60万人、中国170万人、台湾20万人と4ヶ国・地域だけで350万人に達します。
         この「不安定の弧」に対処するに当たっての日本の基本的立場は、(イ)平和憲法下であくまでも軍事的解決は取らず、外交手段によって平和環境を構築していく、(ロ)日米安保体制を堅持し、日本の安全保障を確保するとともに、米国の軍事的プレゼンス確保を通じ地域の安定化にも貢献すること、の2点に要約されます。もし日本が南太平洋や中米の小国であれば、交戦権放棄、軍事力不保持を規定した平和憲法採択後、コスタリカのように非武装中立という選択肢を取ることも或いは可能であったかもしれませんが、現実の日本の国家規模、地政学的な戦略価値に鑑みれば、日米安保体制の確立が唯一の現実的選択肢であったと考えます。従って、この2つの基本的立場は実際上、対をなしています。

しかしながら、平和憲法採択から半世紀以上が経過して国際情勢も大きく変わり、平和憲法の理想と現実の要請との間に乖離が生じていることは否みません。これが現在、日本国内で焦点の一つとなっている憲法改正論議で、その帰趨は当然のことながら地域安全保障への日本の対応振りにも様々な影響を及ぼしてくるでしょう。昨年11月には自民党憲法調査会による憲法改正大綱原案が取りまとめられ、現在、国会で熱心な論議が続けられています。また、経団連や読売新聞など国内各方面からも試案が提示されており、国民の関心も高まっています。
         第1は、戦力としての自衛隊の存在を正面から認めるべし、との主張です。日本の防衛予算は、02年で約370億ドルで、英国の350億ドルを上回り、世界第5位に位置します。戦力不保持を謳った第9条第2項との関係で、「自衛隊は戦力ではなく、あくまでも自衛のための実力である」とのフィクションを維持するのは無理があるのではないか、むしろ正面から自衛のための戦力は保持すると憲法上明記すべきではないか、という主張です。
         第2は、日本が国連加盟国として国連憲章を批准している以上、国連の平和維持活動及び平和執行活動にフルに参加し得るよう憲法上も明記すべし、との主張があります。さらに国連PKO、PKFだけではなく、多国籍軍のような場合にも同様に参加出来るようにすべし、との議論もあります。現在、わが国のPKO、PKF参加は、あくまでも武力行使を禁ずる憲法規定との整合性を保ち、海外派兵には該当しないとの担保を前提にしているために様々な制約が課せられています。即ち、活動内容も人道的な国際救援活動とPKF後方支援業務に限定され、いわゆる警護任務が認められていないため、外国の歩兵部隊などに警護を依頼しています。この他にも、武器使用の制限など種々の制約があります。かかる制約なしに通常の国連加盟国と同様の形で参加出来るようにしようと言うことです。
         第3は、集団的自衛権の問題です。現在の憲法解釈は、自衛権は固有の権利として保有しているが、自国が攻撃を受けていないにも拘わらず他国に対する攻撃を実力をもって阻止する集団的自衛権の行使は許されないとしています。しかし、例えば、同盟国たる米国の艦船が北朝鮮と交戦中に日本近海で燃料補給を求めている時に、集団的自衛権の行使に当たるからと言って、これを支援せずにおいて日米安保体制が本当に維持できるのか、というもっともな議論があるわけです。これは、一定の範囲内で集団的自衛権の行使を憲法上明確にすべしとの主張につながります。しかし、この点については、何等かの歯止めをかけなければ、集団的自衛権の名の下に日本は米国の世界戦略に世界中どこまでも付き合うことを余儀なくされるのではないか、それでは憲法第9条は有名無実になってしまうのではないか、との疑問も当然でてきます。これらの点については、国民の間でまで十分議論が深められていないように見受けられます。
         憲法改正のためには、衆参両院のそれぞれで議員数の3分の2以上の多数決で発議し、国民投票で過半数を得るという高いハードルがあります。漸く国民の間での議論が始まったところで、今後の帰趨は予断を許しませんが、憲法改正の今後の進展如何では、日本の国連PKO、PKF及び多国籍軍への参加、アジアに於ける日米の防衛分担のあり方等々、様々な分野で影響が出てくることが予想されます。

2.         東アジア経済統合プロセス

ブッシュ大統領の言う「不安定の弧」に対し、マンモハン・シン首相は「繁栄の弧」としてのアジア経済共同体構想を提唱しています。確かに東アジア諸国を中心とするこの地域の経済統合の進展振りには刮目すべきものがあります。インドの経済研究所RIS等が使い始めている用語としてJACIKがあります。日本、ASEAN、中国、インド、韓国の頭文字を並べた言葉です。「ASEAN+4」の14ヶ国と言ってもよいのですが、+4では、いかにも付属物のような印象を与えますので、ここでは私もJACIKを使用します。
         先ずは、JACIKの世界における位置づけですが、GNP規模はEU15ヶ国と同額の7.3兆ドルで、世界GNPの4分の1に相当します(2000年現在)。NAFTA11兆ドルと合わせ3グループで26兆ドル、世界GNP31兆ドルの80%に相当します。外貨準備高では、JACIKは2兆ドル(04年)と世界全体の50%以上を占めています。JACIK人口30億ドルが世界人口の50%を占めることはご存じの通りです。因みに、JACIKのGNP構成は、ラフに言って、日本が57%、中国が18%とこの2ヶ国で4分の3を占め、残る4分の1をインド、韓国、ASEANがほぼ三等分する形となっています。
         GNP規模以上に注目すべきは経済の結合度で、東アジア(ASEAN5+日中韓港台)の貿易域内依存度は52%と高い水準にあります(02年現在)。EUの63%には及びませんが、NAFTAの46%を上回っています。手元にインドを含めた数字は有りませんが、インドの対東アジア貿易依存度は21%ですので、多少数字は低くなりましょう。

このように東アジア経済は、EUやNAFTAのような地域経済統合の法的枠組み無しに、既にそれと同等あるいはそれを上回る経済結合度を有しているわけですが、同時に、この地域は自由貿易取り決め(FTA/CEPA)ネットワーク作りの新たなセンターになってきています。即ち、現在、この地域では締結済み分をも含め全部で20件のFTAネットワーク作りが進行中です。日星、日比、韓星、中港、中マカオ、AFTAと6件の締結済みFTAに加え、新たに日タイ、日マレーシア、日インドネシア、日ASEAN、日韓、韓ASEAN、中ASEAN、印タイ、印星、印ASEANと10件のFTA交渉が進行中です。さらに将来のFTA締結を視野に入れた共同研究(JSG)が日印、印中、印韓、日中韓と4件行われています。
         WTO事務局に登録されていますFTA数は約200件ですが、モノとサービスの重複、EU拡大による失効分を除くと実質110件(70件がEUがらみ、40件がそれ以外)ですが、現在進行形という観点からは、いかに東アジアが新たなFTAネットワーク作りの中心になっているかがお判り頂けるものと思います。

東アジア地域経済統合の更なる推進を図るうえで、日本としては以下の要素を重視しています。
          第1は、中国経済の台頭と日中経済関係の緊密化です。最近、04年のわが国貿易統計が発表され、対中国・香港貿易額が約2,100億ドルと対米の2,000億ドルを上回って初めて首位に立った事が関心を呼びました(対中国のみは1,700億ドル)。わが国の対世界貿易額シェアでも対中国・香港は約20%を占めるに至っています。対中国FDIも急成長し、03年度は31億ドルと米国、オランダに次いで第3位の投資先になっています。注目すべきは、2000年度の対中FDIは10億ドルでしたので、この3年間に3倍に急増したことになります。JACIK・GNPの4分の3を占める日中両国の経済関係は今後とも東アジア経済統合の要になっていくことは疑いを入れません。
         第2は、拡大するインド経済と東アジア経済との結合です。インドもLook East政策を標榜し、東アジアとの経済緊密化を協力に推進していますが、東アジア諸国にとっても年率6~8%で着実に拡大を続けるインド経済との連携を強化することは重要な課題となっております。その意味で、東アジア側もLook Westの立場にあります。活発化するインドと東アジア諸国とのFTA/CEPA作りはその象徴でもあります。
         第3に、結節点としてのASEANの重要性があります。ASEANはJACIK・GDPの9%を占めるだけですが、FTAネットワーク作りのハブをもって任じており、拡大ASEAN首脳会議、ASEAN+などの会議外交をも通じ、東アジア経済統合の貴重な結節点となっております。
         第4に、韓国、豪州、NZさらには米国の存在は決して過少評価してはならないと考えます。韓国はGNP規模ではインド、ASEANに匹敵しますし、近年、中国とともに北東アジア3ヶ国間での様々な協力が進んでおります。米国のプレゼンスの大きさについては多言を要しません。東アジア域内貿易依存度の高さは既に触れましたが、内容的には原料、中間財の貿易が多く、完成品の多くは米国市場向けとなっています。

東アジア経済統合を巡るトピックとして東アジア首脳会議(EAS)について一言しておきます。EASは、将に東アジア経済共同体という長期的な目標への一つのプロセスと位置づけられています。本年後半、多分12月にマレーシアで開催することは決まっていますが、それ以外の詳細はまだ何も決まっておらず、現在、種々の調整が行われているところです。議長国問題、将来の開催場所等々も議論されていますが、最大の問題は構成国の如何で、ASEANプラス日本、中国、韓国のいわゆるASEAN+3に限定するのか、或いは更に参加国を拡大するのか、その場合、如何なる形態をとるのかが問題になっています。特に、インドの参加の是非が焦点になっています。
         この点は、EASの基本的性格づけの問題でもあり、日本としては、(a)ASEANの中心的役割を認め、ASEANが引き続きDriver's Seatに座ることを支持する、(b)新たにEASを発足させる以上、従来の「ASEAN+3」とは明確に異なるフォーラムとしての実態を付与することが必要、(c)ASEAN+3以外への開放性と包含性が必要、との3点を主張しています。より具体的には、構成国については、ASEAN+3に加え、インド、豪州、NZの3ヶ国が原加盟国となることが理想であり、これが困難な場合には、少なくともASEAN+3によるコア会議とインド、豪州、NZなどを含めた拡大会議の2段階方式が望ましい、と考えています。

3.         日中印のアジア3大国間の対話と協力

日本を含めアジア諸国にとって、21世紀アジア国際政治の最大の関心テーマは、台頭するインドと中国という2大国と如何に付き合っていくかとの点にあると認識しています。
         インドと中国の台頭については、ゴールドマンサックス社がいわゆるBRICs報告を発表して、2050時点での世界のGDPランキングを1位中国45兆ドル、2位米国35兆ドル、3位インド28兆ドル、4位日本7兆ドルと予想して以来、急速に世界の関心の的になりました。更に、本年1月、米国の国家情報委員会が"Mapping the Global Future 2020"と題する報告を取り纏め、21世紀における中国とインドの台頭を、19世紀のドイツ、20世紀の米国の台頭に匹敵するものと予想し、注目を集めています。
         いわゆる未来学的予測が基本的に現在のトレンドの延長を基本にしており、日本も1960年代当時には20世紀末には米国のGNPを追い抜く式の未来予測の対象にされていたことを勘案すれば、果たしてインドのGDPが2050時点で日本の4倍にまで拡大するのかは保証の限りではないでしょう。
         しかしながら、インド、中国と日本との人口規模の差を考えれば、2025年から2030年頃には、日本、中国、インドのGDPが横一線に並ぶことはほぼ間違いの無いところと見ています。現在の予測では中国のGDPが頭一つ出ているかもしれません。かっては日本も世界秩序への新たな挑戦者として、経済大国振りと類い希なる国際競争力が欧米から脅威と受け止められた時期もありました。今やその日本も既存秩序側としてインド、中国の台頭を迎えようとしています。
         将にアジア三国志時代を迎えようとしており、今後のアジアの安定と繁栄は、日中印の3大国が如何に対話し、協力していくかに大きく依存してくるものと考えます。経済のみならず、政治の分野では中国に加え、日本とインドが国連安保理常任理事国入りを求めて強力な働きかけをしていることはご承知のとおりです。また、本年の英国でのG8アウトリーチ会合にはブラジル、南アとともにインド、中国が招かれることが確実視されています。今後とも、様々な形でG8プロセスにインドと中国の参加が求められていくことになりましょう。先程述べましたEASを含めた東アジア経済統合プロセスについても、インドに対する扱い等を巡りこの3大国の関係が微妙に投影されています。

この日中印新時代を迎え、日本が重視すべきことの一つは日中関係を安定的に維持していくことにあります。大きな隣国との関係には何かと難しさがあることは、1962年の中印国境紛争の記憶を有するインドの方々に今更申し上げるまでもないところでしょう。しかしまた、安定的かつ協力的な日中関係の維持が両国のみならずアジア全体の安定と繁栄に不可欠であることも自明のところです。
         同時に、日印関係の飛躍的強化も、日中関係と同様、あるいはそれ以上に、日本にとって重要な課題と考えます。なんとなれば、日中関係に比較して日印関係の増進が大きく遅れており、これが日印両国にとって日中印新時代に的確に対応するための外交基盤を弱めていると考えるからです。貿易、投資、人的往来のいずれの指標をとっても、日印関係は、日中関係の1/30の水準にあります。即ち、丸い数字で、貿易往復額は60億ドル弱対1,700億ドル弱(香港を除く、以下同じ)、外国直接投資は1億ドル弱対32億ドル、日本人訪問数は8万人対225万人と、いずれも日中が日印の約30倍となっています。因みに、わが国航空会社の乗り入れ便数を見ますと、中国にはJAL、ANA合計で週274便が入っていますが、インドにはJALのみが週3便運行しているだけです。
         他方で、印中関係は、基本的に1962年の国境紛争以来、疎遠なまま推移してきましたが、頻繁な首脳の相互訪問に象徴される如く、近年の両国関係の進展振りには目を見張るものがあります。経済面でも、投資関係こそ相互に希薄ですが、両国間貿易は04年で往復約100億ドルと日印貿易額の2倍近くに達しています。従って、日印関係は、印中関係との比較でも低位にあり、日中印の三角形で日印の辺が最も弱くなっているのが現実です。
         私は、在印日本大使として日印関係の将来展望を楽観視しております。日印関係そのものについては既に別の機会に講演しており、本日は時間もありませんのでごく簡単に触れるだけにいたします。日印関係の最大の財産は、仏教を通ずる文化的紐帯とともに、両国間に負の歴史遺産がおよそ無いことです。日露戦争のインド独立運動への影響、詩聖タゴールと岡倉天心の交流、チャンドラ・ボース、極東軍事裁判で日本の無罪を主張したパル判事、マハトマ・ガンディー、ネルー首相による象インディラの寄贈、等々「正の歴史遺産」ばかりと言っても過言ではありません。
         両国は、今こうした歴史的財産の上に、政治、経済、国民交流の3分野で交流を飛躍的に拡大していこうとしています。政治分野では、日本はインドをアジアの大国と明確に位置づけ、アジアさらには世界の安定と繁栄のために相互協力を強化していくことにしています。安保理常任理事国入りへの相互支持はその端的な現れです。本年は、日印関係にとって「首脳外交の年」と位置づけています。近く、小泉総理の訪印が実現するものと期待されますが、それだけではなく、4月のアジア・アフリカ会議、7月のG8アウトリーチ会合、安保理改革を巡るG4首脳レベル会合等々、日印両国の首脳が世界の秩序作りのために国際会議で顔を合わせ共同作業をする機会が増えてきています。
         また、経済分野では、わが国対印投資は1997年にピークに達した後、核実験後の難しい時期もあり、落ち込んできましたが、03~04年を底として再び拡大の傾向にあり、種々の投資計画に鑑みてもここ2~3年で大きく伸びることが期待されています。過去1~2年の間にわが国経済界の対印関心が急速に高まって来ていることを実感しています。
         本日のセミナーには、テーマ別セッションにおいて日本大使館から柳公使、山本参事官が講演をする予定になっております。活発で実り多き日印知的対話の場となることを期待しつつ私の基調講演を締めくくらせて頂きます。

(了)